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瀬島龍三 元伊藤忠商事会長 死去

4日死去した瀬島龍三元伊藤忠商事会長は、戦前の大本営参謀としての経験を生かし、戦後の自民党政治の深奥で、時の首相のブレーン的存在として力を発揮したことで知られる。特に中曽根康弘元首相との関係が深く、中曽根政権時代の83年の首相電撃訪韓の際には首相の密使も務めた。

 戦後、11年間のシベリア抑留を経て帰国し、58年に伊藤忠商事に入社。専務、副社長、会長と上り詰める過程で、政権政党・自民党の実力者と深い交友関係を結んだ。

 80年代初頭の鈴木善幸政権時代、実力者だった田中角栄、福田赳夫両元首相は、官房長官の宮沢喜一氏(後に首相)に「本当の国家改造を目指すなら瀬島氏しかいない」と語り、土光敏夫経団連会長(当時)をシンボルとした臨時行政調査会(第2次臨調)の委員に瀬島氏を推薦した。同氏には「臨調の官房長官」との異名が付いた。

 中曽根内閣の国鉄、電電公社民営化でも活躍。中曽根氏は4日、瀬島氏の死去を受け「国鉄や電電公社の改革の実行段階に入ると、改革案の内容について助言してくれたし、自民党内の反対派を説得してくれた」と当時の貢献を明かした。

 一方、83年1月の中曽根首相訪韓は、前年の11月、首相就任直後の中曽根氏が瀬島氏に自らの意思を伝えたことに端を発している。瀬島氏は82年12月に2回、極秘裏に訪韓。当時の全斗煥(チョンドファン)大統領と会談し、首相訪韓の了承を取り付けた。

 竹下登元首相や民主党の小沢一郎代表ら旧竹下派系の政治家のアドバイザー役も務め、関係が悪化した竹下、小沢両氏の仲裁役にもなった。自民党からの政権奪取を目指す立場の小沢氏も4日、「中曽根内閣で初めて閣僚(旧自治相)に就任して以来、折に触れご指導をいただいた」と自民党時代からの交遊を振り返るコメントを出した。     ◇

 瀬島氏は大本営時代に培った人脈や政界とのつながりを背景に、経済界でもらつ腕を振るった。財界からは「日本のリーダーの一人を失い寂しい思い」(山口信夫・日本商工会議所会頭)との声が上がっている。

 伊藤忠商事入社後、瀬島氏は「日本は世界有数の経済国家に成長する」との確信の下、国際化社会に対応するため「関西五綿」と呼ばれた繊維商社の一つだった伊藤忠の総合商社化を推進。経営危機に陥った安宅産業との合併でも中心的役割を果たし、合併による損失を最小限にとどめるため、銀行などを相手にぎりぎりの交渉をまとめた。

 いすゞ自動車から持ち込まれた米自動車会社との提携話では、クライスラー、フォードとの交渉が挫折。米国の特命スタッフと協力し、執念で米ゼネラル・モーターズとの提携をまとめた。瀬島氏は後に「大プロジェクトの推進には、人の和とチームワークが大切」と振り返った。
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2007,09,05 07:46Edit
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瀬島龍三
瀬島龍三瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - )は、大日本帝国陸軍|陸軍軍人、経営者。富山県出身。岳父は松尾伝蔵。陸士44期。陸軍幼年学校を経て、陸軍士官学校、陸軍大学校を首席で卒業。太平洋戦争時、大本営参謀としてガダルカナル島の
ゆいの部屋|2007,09,06 13:03
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